自分が面白いものは、他人には面白くないことがある

 当たり前だが人間の好みは千差万別である。

 例えばあるアイドルが好きだとしよう。そのアイドルはあまり人気があるとは言えないが、自分にとっては大好きなアイドルだ。できれば売れてほしい、自分もそのアイドルが売れるようにグラビアが載っている雑誌を買い、アンケートハガキを出したりする。

 その行為は第三者にとってどう映るか?
 同意する。嫌悪する。どうでもいい、の3つである。
 現実としては同意しても、そこまではやらないという人もいる。嫌悪する人は相手をバカにするか、最初から無視する。そして多数なのがどうでもいいという人種だ。たまたまその人のブログにそのアイドルの話題を読んで同意するか、嫌悪するかはその人の自由だ。大抵はどうでもいいに当てはまるだろう。

 それに相手が同意しなくても、本人が自分自身楽しければそれでいいのである。それにネットだとそのアイドルが好きな人はいるかもしれない。その人のブログでコメを書き、仲が良くなるかもしれない。もちろん、そのアイドルが好きでも管理人の性質によって、肌が合う合わない人はいる。必ずしも同じ嗜好の者同士が仲良くなれるとは限らない。

 何が言いたいのかと言えば、自分が好きなものに対し、押し付けはよくないことだ。さり気なく勧めるか、もしくはその関係があるサイトを見つければいい。
 人間は押し付けられると腹が立つものだ。どうでもいいものを強く押し付けられると嫌悪感しか湧かない。どうでもいいものが嫌いになる場合があるのだ。

 好きなものの議論は相手に押し付けるのではなく、ある程度人のコメに対し、コメを返すことが大切だ。自分の自説を延々と語られ、意見を言っても無視されるのでは議論のやりようなどない。言葉のキャッチボールといって金属バットで打ち返す場合がある。ボールがあさっての方向に飛んでしまい、それっきりで終わってしまう。

 コメを書くのはロボットが答えるわけではない。生身の人間が答えるのだ。自分が嫌いなものを扱っていても、その人にとっては好きなものだ。自分が好きなものを貶されたら気分が悪くなる。なら自分の嫌いなものは記事にしない、好きなものだけを書くべきである。それに嫌いと書けば荒らしが面白がって付け狙ってくる。嫌いなものを語らないことは自分を守ることになる。

 自分の好みをネットで語るということは危険性がある。我々は自分たちの発言に責任を持たなくてはならない。この記事は特定の個人だけが読んでいるわけではない。それこそ全世界の人々が読む可能性があるのだ。